ブログ開設にあたり
長野に生まれ長野で育ち長野に暮らし長野を愛し長野の自然が大好きなわたし。トップトレイルランナーを目指しながら、山遊びならなんでも楽しんできたので、当然、やりたいことがたくさんありすぎて常に休みは足りません!状態。
そんなわたしが、いよいよ雪もしっかり解けて山シーズン到来だぞ!というときに、松葉杖をついて遠くから山を眺める事しかできないのは大きな怪我をしてしまったから。
治療経過を自分の備忘録的な感じで書くつもりですが、
記録を残すことで自己分析にもつながるし、いつかどこかの誰かが同じ怪我をしたときに何か参考になればいいなと思い、ブログを開設しました。
受傷の日
2019年2月2日
その日はひとりでスキーのトレーニング中でした。
午後から友人と合流してスキーの練習をする予定でしたが、Myスキーギアをゲットしてからというもの、スキーが楽しくてたまらなくなっていたわたしは、その前に少し滑っておきたかったのです。
コースも3周目の終盤。これで終わりにしようと気持ちよく滑っていた。
下り坂でスピードが出てたところ、バランスを崩した拍子に、体が右斜め前に倒れた。その勢いで、足が浮き、スキー板のトップ(先端)が雪に突き刺さってしまったらしい。
足がそこに固定されたまま、膝だけが体の方へ…。
「これは何かやってしまった」
左膝に違和感を感じ、しばらく立ち上がらずに雪の上に蹲ってた。
誰もいない競技場。自力で戻らなければいけない。
わたしは寝転んだままスキー板を外し、よろよろと立ち上がり、板とストックを雪面に刺しながら、たまに膝からガクッと崩れ落ちるような感覚に襲われながらも、荷物の置いてある場所まで歩いて戻った。
膝に力が入らない…
膝は曲がるし激痛ない…
脱臼かな?なんだこれは…
しばらく雪で冷やしていたが、この日はさほど腫れあがることもなく。
脚を前後に開いたり、左膝に体重をかけようとすると膝に力が入ることなく“膝が抜ける”という表現が正しいのか…やはりそのまま膝からガクッと崩れ落ちてしまいました。内側側副靱帯(MCL)を傷めてしまったのかもしれないとのことで、それなら捻挫と一緒ですぐ治るだろうな…と思っていました。
とにかく、圧迫とアイシングを念入りにしました。
この日は土曜日だったので、休み明け病院へ。
レントゲン検査では骨に異常はなし。(まあ、そうだろうな~)
初見ではそこまで腫れてないし、痛みもない。腫れた膝から水を抜いてみるも、真っ赤な血液はそんなに混ざっていないので、やはり「内側側副靱帯じゃないか」とのことで、断裂まではいかないのでは…との診断。
数日後にMRIを撮ることに。
想定していた一番最悪の結果
MRI検査の結果、左膝前十字靭帯(ACL)断裂、内側側副靱帯(MCL)断裂、半月板損傷、脛骨顆部骨挫傷というフルコースの診断でした。
内側側副靭帯については、再生能力があるので保存療法が可能。
しかし、「前十字靭帯断裂 」は、言葉は悪いですが、今シーズンの終了を意味していました。前十字靭帯は毛細血管が通っていない組織なので再生能力がないため、もし、ちゃんと治そうと思ったら手術を要します。一般的に、復帰はそこから6〜9ヶ月。更に半月板の縫合手術をするとなるとプラス3ヵ月。そして、手術をするとしても、MCLの回復を待ってからになります。なので、どんなに頑張ってもこの夏、山に行くことは難しい。
とは言っても、手術の要否については一応3ヵ月後のMCLが治ってからの経過状況を見てから決めるということになりました。主治医からは、「競技を続けるなら手術はほぼ必要だと思った方がいい」と言われました。
保存療法でも、筋肉でカバーできないこともないが、将来的に何らかの形で膝の故障が出てくる可能性が高い。そうなると、いつか愛する山に行けない日が来るかもしれない。
診断を受けてから病院で涙が止まらず、3時間くらい泣き続けたと思います。
病院のティッシュが終わるかと思いました(笑)
リハビリ室に移っても涙が止まらないわたしに、理学療法士(PT)の先生も困っていたことでしょう。泣きやまないままベットに来たわたしに、今そんなこと聞く?っていう第一声でした。※後に聞いた話ですが、やはりなんて話しかけたらいいかわからないくらい泣いていて、困った末の会話の切り出しだったそうです。
今年も行きたいところ、挑戦したいこと、達成すべきことがたくさんあった。参加レースの予定も立て始めており、これからというときに…悔しくてたまりませんでした。
でも、大切な人が「生ぬるくやってる人には経験出来ないことなんだ、だから怪我前よりも絶対に強くなれる」と言ってくれて少し救われました。
そして、悲しくて悔しくて情けなくて涙は信じられないほど出てくるけど、不思議なことに“たられば”な思考は一切頭に浮かびませんでした。
怪我してしまったことに対してあーだこーだ言っても仕方ない。
いつまでも愛する山に行き続けたいし、強くなりたいと思い、わたしは前向きに早期回復と競技復帰を目指すことにしたのです。